中日伝統武術協会・玉祥伝統武術協会
来日37周年に伴い、ホームページを新設しました。現在は埼玉県に在住しています。
【日中伝統武術協会】は、【中日伝統武術協会】【玉祥伝統武術協会】に協会名を変更致しました。
形意拳系譜
河北形意拳、郭雲深大師(中座右)が山西形意拳、車毅斎宗師(中座右)を訪れた時。
槍を持っているのが李複禎先師、刀を持っているのが樊永慶先師である。
趙 玉祥について
車氏形意拳“武字輩”第四代伝人・布氏形意拳第三代伝人
1943年7月8日、遼寧省に生まれる。14歳でハルピン市第15武術館にて武術を学び、同時に太極拳を得意とする「権煥章老師」に88式太極拳の極意を伝授され、19歳の時に車氏形意拳第三代伝人「王喜亮老師」の徒となり、形意拳、八卦掌、陳式太極拳及び各種武術器械を習得する。1978年、黒龍江省の武術試合で、太極拳及び太極推手種目で優勝。形意拳種目で準優勝、その他の栄誉ある賞の受賞の功績により、中華人民共和国体育運動委員会より「雄獅奨」を贈られる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『形意拳の真髄三体式・五行拳の基本と実践応用技法群』より1943年7月、遼寧省法庫県小六家子村に生まれる。幼い頃は体が弱く、病気がちで、学校に通うこともままならなかった。
9歳の時、ひどい吐血をし、ハルピンの病院に行く事になった。そこで療養に専念したが、当時診療したハルピン医科大学教授には「この子は成人できないだろう」と言われていた。
学校にも行けず、無為の日々を送っていた頃、藁にもすがる思いで近所の道廟に通うのが習慣となった。そこには色々な神仏が祭られ、各地から道士たちが集まっていた。彼らには、気功や武術を練る者も多かった。そこの道長が目をかけてくれ、気功や拳術を教えてくれた。道長は様々なことを教えてくれて、気が分かってくるようになると、日毎に体が軽くなり爽快になっていった。気づくと12歳の頃には、まわりの子供より健康になっていた。そして武術により生まれ変わったと実感し、人生をかける価値のあるものだと思うようになった。
その後、14歳になると工場等で働きながら、余っている時間を錬功時間に充てた。
最初はハルピン市第十五武術館で大洪拳などの少林拳を学んだ。時には寝食も忘れて武術に没頭し、太平公園で苦錬を積むのが日課となった。そんな姿を見て、権煥章老師が声をかけた。権煥章は夫妻で武術を練り、太極拳を得意としていた。夫妻は88式太極拳を伝授した。
1962年になり、権煥章は高齢のため自分の命があとわずかであることを知ると、当時ハルピンで名を馳せていた形意拳第三代伝人、王喜亮老師に紹介し後事を託した。この時より王喜亮の徒となり、その門下で形意拳、形意剣、推手、太極拳、八卦掌等の各種武術器械を学んだ。王喜亮は三十年に及ぶ教武の後、深く期待して全伝を授けた。
1978年より黒竜江省などの武術比賽に続けて参加し、太極拳及び太極拳推手で優勝を勝ち取っている。この後、その武術への研鑽に対して雄獅奨が中華人民共和国体育運動委員会より贈られた。
1981年から1986年まで太平体育学校において教師を務めた際には、毎年優秀教師として表彰され、教えていた教室は幾度も優秀教室として選ばれている。中国の国家から、有用な武術の人材として高く評価され、民間より国家級の人材として武術事業に迎え入れられた。
王喜亮老師の下で自らの練武に一定の成果をあげると、更なる技芸の完成を求めて多くの名師を探訪した。しかし当時は文化大革命の時期であり、中国国内は騒乱とした状況だった。武術は封建的な制度を引きずっている文化として批判されていた。そのことに心を深く痛め、武術界の友人達と力を合わせて、迫害されている老師達の生活を助けた。その老拳師達の中に、著名な蟷螂拳宗師、単香陵老師がいた。その温情に対して、単香陵老師からは、馬猴蟷螂拳の一路と二路、いわゆる短捶と双封を伝授された。趙老師は今でも教武の恩を忘れず、単香陵老師の戒めを堅く守り続けている。
70年代に入ると、続いて農民拳師であった張広禄老師につき、蟷螂八卦掌、点穴法及び器械を学んだ。80年代には王喜亮老師の師兄弟である李修政老師と劉希帽老師を訪ねて行き、形意拳の研究を深めた。また、同門先輩であるハルピンの著名な女性老拳師、候孝賢老師にも形意拳推手及び対打を学んだ。この後には、何福生老師、沙国政老師を歴訪し河北形意拳と八卦掌を学んでいる。
中国において、育て上げた学生達は着実に力を付け、様々な大会で優秀な成績を収めた。自身は選手としての参加からは退き、役員となり市省全国級の大会で審判員、副審判長、総審判長などを歴任するようになった。1987年には、深セン市で開催された第一回国際武術教練員学習班に参加し、形意拳と太極拳の国際教練員免状を受けた。この時の陳式太極拳の教師は太極拳名師、馮志強老師であり、老師から48式陳式太極拳を学んだ。さらには、自ら学んできた武術技芸の理論と実践を結びつける為に、北京体育学院武術系で学び優秀な成績を収めた。
1987年、日本人残留孤児であった夫人の帰国と共に来日し、居を定めた。この時、四十余歳、言葉の喋れない異国の土地での慣れない生活は苦しく、多忙を究めた。
しかしそのような生活の中でも、祖国の情、師友の恩は忘れ難く、特に幼い頃自分の命を救ってくれた中国武術への感謝の念は、常に心から離れなかった。日本において中国武術を発揚拡大することこそ、それらに対する最高の恩返しだと考え、各所で武術の教授を始めた。最初の頃は日本語を聞き取ることも話すことも出来ず、筆談と拳勢を示すことのみで教武を進めた。現在では日本語も習得した。
今や来日して30年が経ち、教室は十数か所に増え、育てた学員は千名近い。その中の何名かの学員は、国際的な伝統武術観摩大会で優秀な成績を上げている。
1943年、中国遼寧省生まれ。山西派車氏形意門第三代伝人・王喜亮老師より、伝統的な形意拳、八卦掌、太極拳等の伝承を受け継ぎ、さらに各地の著名な武術家を訪ねて技芸向上を重ねる。山西派布氏形意門伝人・布秉全老師の道統も受け継ぐ中国伝統武術家。中国武術八段。中国国家一級武術裁判。中国国家一級武術教練。現在茨城県に在住し、玉祥伝統武術協会会長として、中国伝統武術の普及に努める。代表作として著書『形意拳の真髄(同タイトルの教則DVD全二巻)』及び『中国伝統武
器術』(BABジャパン)などがある。
・玉祥伝統武術協会会長総教練真兌道場中国武術館館長 |
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・中国山西形意拳布学寛研究会副会長日本布氏伝人 |
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・国際武術八段 |
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・国際第一期武術講習班終了 |
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・武術国際特一級講師 |
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・中国国家一級武術審判 |
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・玉祥伝統武術協会会長兼総師範 |
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・中国山西形意拳布學ェ研究会副会長 |
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・日本布氏研究会会長 |
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・中華人民共和国民間武術家名鑑、登錄登録番号:02108号 |
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・国際第一期国際講師取得 |
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・真兌道中国武術館館長 |
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・中国精武雑誌より特別に中国武術の達人と認定 |
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・上海武術研究院 武術協会・顧問 |
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・金剛力功副理事長兼講師 |
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・哈爾濱(ハルピン) 市の古武術名人の栄誉称号を特別授与 |
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・中国黒龍江省武術学会理事長兼太極拳形意拳八卦掌講師 |
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・車氏形意拳武字輩第四代伝承人 布氏形意拳第三代伝承人 |
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・中国北體大学太極拳修了 |
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・中国哈爾濱市太平體校武術教練 |
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・中国上海武術研究院、武術協会顧問 |
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・中国黒龍江省武術協会委員兼教練委員会副主任 |
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・中国哈爾濱市武術協会委員兼裁判委員会副主任 |
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・中国黒龍江省武術学会理事 |
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・中国黒龍江省武術学会太極拳形意拳八卦掌研究会教練 |
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・車氏形意拳”武字輩”第四代伝人布氏形意拳第三代伝人 |
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・中国芳香智悟気功及硬気功講師 |
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・金剛力功副理事長兼講師 |
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・多種動作導引気功・硬気功・健康気功法研究講師 |
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・中国精武雑字特授与為精武百傑 |
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・2010年8月8日特授与哈爾濱市老武術名家栄誉称号 |
趙 麗慧 あいさつ
車氏形意拳“尚字輩”第五代伝人・布氏形意拳第四代伝人
5歳から父である趙玉祥より、武術の指導を受けることによって、身体能力が向上し、そのためか、後に始めた卓球の上達も早く、数々の試合において優秀な成績を修めることができました。
そして、今日に至るまでの間、武術と卓球を生活の一部として、時間と労力を費やす人生を歩んでまいりました。
幼少より、長年にわたり武術と共に人生を歩んできた、父の武術に対する熱い思いを身近で感じながら育った私は、自然と父の後継者になりたいという心境に至り、この度、山西派車氏形意拳第五代伝承者を襲名することとなりました。
父の武術は技撃のみならず、心身の健康面に対しても大きな効果があり、長年の実績もあります。指導を受けた方々においても、その効果が顕著に表れています。
人生百年時代と言われている今、健康面で悩んでいる方が多くいらっしゃると思いますが、その健康を保つための方法として、武術や気功が昔から存在しているのです。
皆さんが、充実した健康的な日々を過ごせるよう、今後は、この民間において古くから伝えられた武術を多くの方に伝えることにより、社会に貢献していきたいと考えております。
・中国武術家 |
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・伝統武術段位 六段
証明書番号:ctwszd04T0101 |
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・車氏形意拳”尚字輩”第五代伝人、布氏形意拳第四代伝人 |
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・中国武術家協会会員 |
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・中国武術家協会武術指導員 |
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・中国文化遺産保護伝承人物、九宮八卦掌 気功
統一編号:zgwhyc2021272 |
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・2020ドバイ博覧会文化国際交流中華武術形意拳
(最も影響力のある伝承者の名誉称号) |
来日15周年記念へのこだわり
来日して 35 周年を迎えましたが、その中でも最も思い出に残っているのは、来日15周年に行われた盛大な記念式典でした。
何度か武術講習会の会場として利用させていただいた、茨城県立中央青年の家において、邹淑嫻老師、布秉全老師、常松勝老師をはじめ、各界の著名な方々をお招きし、来賓の皆様方が見守る中、今まで指導してきた多くの生徒たちが一堂に会し、それぞれ得意な種目の表演を行いましたが、その数は個人と団体を合わせて100を超えるという、一日をかけての盛大な表演会となりました。
また、私の来日15周年と旧日中伝統武術協会の設立10周年を節目に記念誌を作成したことにより、これまでの武術活動や歴史について取りまとめる事ができ、私の武術人生の一つの足跡として残すことができたことを大変うれしく思っております。
これらの成果を残すことは、私ひとりの力だけで行うことは到底かなわず、このときから多くの人に支えられてきたからこそ、今現在の自分があるということを、この式典を通し、改めて強く感じさせられました。私の武術人生をより華やかに、充実したものにしてくださいました皆様方に、この場をお借りして心より感謝申し上げます。